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<title>中塚光之介の医学部入試小論文</title>
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<description>小論文ブログから医学部に関する事をまとめます</description>
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<title>私立大学医学部</title>
<description> 私立大学医学部受験生だけを対象にした小論文講座を受け持っている。夏期講習会でもそうした講座がある。さて、私立大学医学部小論文入試問題の大きな特徴として、現代社会や人間関係について述べられた、平易で短めの課題文に対して、自由に述べるというものが多いということがあげられる。大学側の出題意図としていくつか考えられよう。身近な事柄について改めて考えさせ、ある程度の読解力や表現力があるかどうかをみる。自分な
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<![CDATA[ 私立大学医学部受験生だけを対象にした小論文講座を受け持っている。夏期講習会でもそうした講座がある。さて、私立大学医学部小論文入試問題の大きな特徴として、現代社会や人間関係について述べられた、平易で短めの課題文に対して、自由に述べるというものが多いということがあげられる。大学側の出題意図としていくつか考えられよう。身近な事柄について改めて考えさせ、ある程度の読解力や表現力があるかどうかをみる。自分なりの見解を導き出せるか判断する。一般的な社会人としての常識や教養があるかどうかをみる。など、一般の学部学科の小論文入試問題の狙いと大きく変わりはしない。しかし、平易で短い課題文だからか、生徒が作成する答案は似たり寄ったりのものが大半になる。もちろん受験としては、大きな失敗をしない限り、一般教科の得点で合格できてしまうので、似たり寄ったりの中で多少書けていさえすれば構わないのだろう。ただ、課題文の意見に大まかに賛成か反対をしてありきたりな例を上げて、常識的にまとめるということを、いくら繰り返しても、評価されるものは書けないし、自身の思考回路もなんら刺激をうけないままなのである。それではあまりに詰まらないだろう。多少文章は拙くても、自分の体験や見聞から、懸命に絞り出した具体例のなかで、なんとか課題文が示す問題を考察しようとしているものは、その姿勢一点で評価に値する。他人の問題だが、自分の問題として共有し、ともに考えようとすること。これはまさに、医療者のあるべき姿なのではないか。とすると、そうした姿勢があるかないかをみるのが、大学の真の出題意図であるということができよう。 ]]>
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<dc:subject>医学部入試</dc:subject>
<dc:date>2009-09-14T02:43:57+09:00</dc:date>
<dc:creator>中塚光之介</dc:creator>
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<title>尊厳死と安楽死</title>
<description> 夏期講習会、医系の講座で、尊厳死を扱った。その内容はともかく、尊厳死＝安楽死（消極的）ととらえている受験生が多いことに気付いた。受験生だけでなく、大人達もそう考えている人が多いことが、あとでわかった。尊厳死は、無駄な延命措置やその他の要因により、尊厳のないような死に方をする人が多かった時代の反発として生まれた概念である。それゆえ結果として、尊厳死を望む人の多くが、無駄な延命措置を望まないことを考え
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<![CDATA[ 夏期講習会、医系の講座で、尊厳死を扱った。その内容はともかく、尊厳死＝安楽死（消極的）ととらえている受験生が多いことに気付いた。受験生だけでなく、大人達もそう考えている人が多いことが、あとでわかった。尊厳死は、無駄な延命措置やその他の要因により、尊厳のないような死に方をする人が多かった時代の反発として生まれた概念である。それゆえ結果として、尊厳死を望む人の多くが、無駄な延命措置を望まないことを考えれば、尊厳死＝消極的安楽死、と思うのも致し方ないのかもしれない。しかしそもそも、安楽死とは、治療の停止や薬剤の投与によって、死に至らしめる「行為」やそ「過程」を差すのであり、尊厳死とは、死に至るまでの時間を尊厳ある生き方で過ごすという、人の「価値観」やその人の「生き方」を意味するのではないのか。そう考えると、尊厳ある死に方とは個人によって異なるはずである（もちろん延命を望むことも含む）。つまり、両者は性質自体が異なった単語なのだ。このように、ターム自体の性質が異なるのに、同じように使用したり、対比させたりしてしまうことは多々ある。そしてこれは、今回の例だけに言えることではない。安易に言葉を使用するのは、自分としても反省すべきであり、丁寧に単語の性質や意味を考えてみるのも、たまには必要なのかもしれないと思った。 ]]>
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<dc:subject>医学部入試</dc:subject>
<dc:date>2009-09-09T21:45:20+09:00</dc:date>
<dc:creator>中塚光之介</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>医系小論文（１１）ー　「医療者の態度」</title>
<description> 健康概念が拡大するということは、人それぞれの医療との関わりが多様化するということである。矛盾したもの言いではあるが、たとえば、一つ二つ病気を持ちながらも、健康に生きていかなければならないのである。とくに高齢者が増加している現代においては、そうした傾向が顕著となっている。医療者の役割も、手術や投薬といった治療行為だけでなく、予防的な対策や患者の日常生活に目を向けなければならない。もちろん患者への対応
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<![CDATA[ 健康概念が拡大するということは、人それぞれの医療との関わりが多様化するということである。矛盾したもの言いではあるが、たとえば、一つ二つ病気を持ちながらも、健康に生きていかなければならないのである。とくに高齢者が増加している現代においては、そうした傾向が顕著となっている。医療者の役割も、手術や投薬といった治療行為だけでなく、予防的な対策や患者の日常生活に目を向けなければならない。もちろん患者への対応も、病気を診るだけでなく、その人となりを把握する必要があるといえよう。 ]]>
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<dc:subject>医学部入試</dc:subject>
<dc:date>2009-05-26T12:09:17+09:00</dc:date>
<dc:creator>中塚光之介</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>医系小論文（１０）ー　「健康」</title>
<description> 「健康」とは普通に考えれば、病気のないことである。しかし、疾病構造の変化により、感染症から、生活習慣病にその中心がシフトし、慢性的な病気を抱える人、とくに高齢者などの「健康」は、そんなに簡単に定義出来なくなった。　1946 年、WHOは「健康とは、単に疾患がない、あるいは虚弱でないというだけでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態のことである」と定義した。これは、たんに病気が欠如した状態ではなく、
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<![CDATA[ 「健康」とは普通に考えれば、病気のないことである。しかし、疾病構造の変化により、感染症から、生活習慣病にその中心がシフトし、慢性的な病気を抱える人、とくに高齢者などの「健康」は、そんなに簡単に定義出来なくなった。<br />　1946 年、WHOは「健康とは、単に疾患がない、あるいは虚弱でないというだけでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態のことである」と定義した。これは、たんに病気が欠如した状態ではなく、積極的に「良好な状態」として定義したところに意義がある。身体だけではなく、精神や、社会にも目を向けているところにも注目したい。<br />　しかし、「良好」というのはわかりにくく、さらに多様な「健康」をとらえるために、「自己実現」「セルフコントロールのレベルアップ」「環境との調和」といった観点で健康をとらえるようになった。1986年のWHOが開催した国際会議で採択されたオタワ憲章も、同様の重要性を述べているのだ。<br />　つまり、様々な状況にある人々が、それぞれの「健康」をコントロールし、その自己実現を達成出来るようにならねばならない。そのためには自然や社会という環境を改善していく必要があるというわけだ。そうした総合的な判断として、「健康」をとらえていくべきだろう。<br /> ]]>
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<dc:subject>医学部入試</dc:subject>
<dc:date>2009-05-18T17:26:34+09:00</dc:date>
<dc:creator>中塚光之介</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>医系小論文（９）</title>
<description> 新型インフルエンザについて、書いておきたい。鳥インフルエンザや豚インフルエンザなど、動物に感染するインフルエンザウイルスは、変異によって、「動物 →ヒト」、「ヒト→ヒト」へ感染するようになる。「ヒト→ヒト」へ伝染するようになると、新型インフルエンザ呼ばれる。今回の新型インフルエンザは豚由来のもので、メキシコで感染者が発生し、複数の国に飛び火し、死亡者も生じている。これがほぼ全世界的に流行（パンデミック
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<![CDATA[ 新型インフルエンザについて、書いておきたい。鳥インフルエンザや豚インフルエンザなど、動物に感染するインフルエンザウイルスは、変異によって、「動物 →ヒト」、「ヒト→ヒト」へ感染するようになる。「ヒト→ヒト」へ伝染するようになると、新型インフルエンザ呼ばれる。今回の新型インフルエンザは豚由来のもので、メキシコで感染者が発生し、複数の国に飛び火し、死亡者も生じている。これがほぼ全世界的に流行（パンデミック）すれば、多くの人命が犠牲となるであろうといわれている。現在、複数の国で感染者が発生し、死亡者が生じているため、WHOは「フェーズ５」を宣言し、警戒している。ウイルスはＨ１Ｎ１型といわれているが、強毒のものではないため、とくに先進国ではそれほど大きな被害はでないのだろう。しかし、約９０年前、多くの命が奪われたスペイン風邪では、流行している間に変異し、強毒化していったといわれている。今回もその可能性は否定できない。また、インドネシアなど東南アジアで、感染が拡大すれば、強毒性のＨ５Ｎ１型鳥インフルエンザウイルスと混ざり合い、それが「ヒト→ヒト」感染するようになると、恐ろしい被害が予想される。<br />強毒性のインフルエンザは、抵抗力の弱い高齢者や乳幼児ではなく、健康で抵抗力のある成人の方が犠牲になる可能性があるのだ。インフルエンザウイルスに感染すると、免疫系の防御反応としてサイトカインが産生される。サイトカインの過剰産生（サイトカインストーム）は、気道閉塞や多機能不全を、一気に引き起こす。スペインかぜでも、若い人の方が死亡率が高かったという記録があるが、サイトカインストームがその原因ではないかと考えられている。 ]]>
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<dc:subject>医学部入試</dc:subject>
<dc:date>2009-05-09T03:52:53+09:00</dc:date>
<dc:creator>中塚光之介</dc:creator>
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